COLUMN Reika Saito / Israel Media
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Reika Saito / Israel Media

2018年12月03日掲載

イスラエルの法律1 -法体系-

「イスラエルの法律ってどんな法律ですか?イスラム法ですか?」と聞かれることがたまに(割と?)あります。

イスラエル社会全体に通用している法律かどうかという観点から言えば、違いますという答えになるのですが、イスラエルの人口の約20%はアラブ系の人々が占めていますので、その人たちの生活―特に身分関係―をイスラム法が規律しているという側面を捉えれば、違いますと言ってよいのかためらわれる部分も少しあります。

イスラエルの法律イメージ

そもそも、イスラエルの法体系は、たとえばコモンロー体系(英米法体系)なのかシビルロー体系(ヨーロッパ大陸法体系)なのかという、よくある法体系の分類論では十分に説明できません。

これは、今のイスラエルの領土が過去数百年の間様々な国によって支配されてきたという歴史に関係しています。

1516年にオスマントルコがシリア・イスラエル地方を征服してから、イスラエルはおよそ400年間にわたってオスマントルコの支配を受けました。

1917年12月にイギリス軍がオスマントルコ軍を破ってエルサレムに入城したあと,1922年にイスラエルはイギリスの委任統治領となります。

オスマントルコによる長い支配を受けたことから、イスラエルにはオスマントルコの法が今日でも残っています。

たとえば、今でもオスマントルコの時代と同じく、自分の身分関係や婚姻は宗教裁判所の法によって規律することになっていますし、登記等の土地に関係する分野にも、オスマントルコの制度(ナポレオン法典を参考にして採用した独特のもの)がたくさん残っています。

また、イギリス統治時代には、イスラエルを足場にして東への商圏拡大を目論んでいたイギリスにより、商業や貿易に関連する法律がたくさん制定され、これが現在でも効力を有しています。

オスマントルコによる400年間の支配とイギリスによる約30年間の統治を経て、1948年に独立した後、イスラエルの地には、主にドイツやポーランドといったヨーロッパの国々からユダヤ人達が大量に帰還してきました。

その中には法学者や弁護士などもたくさん含まれており、彼らが新しいイスラエル国家の法整備の場面で重用されたことにより、主に民事法の分野で、ドイツ法の要素が多大に取り入れられました。

このような多様性を特徴とするイスラエルの法体系ですが、1985年に社会主義から脱却して資本主義体制に移行してからは、イスラエルの裁判所は主にアメリカやカナダ(コモンロー体系)の裁判例に大きな影響を受けるようになり、特許法や著作権法などといった知的財産に関する法律などもアメリカの制定法を参考にして立法されています。

日本の法体系も、ドイツ・フランスの影響を多大に受けて(というより真似をして)築かれていますが、先の大戦後は、アメリカの影響を受けて、新たな立法がたくさんなされました。

ヨーロッパの大国やアメリカのものを取り入れて独自の法体系を築いているという点で、イスラエルと日本はとても似ていますね。

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